江戸時代の兵庫津マップ
年表
741 | 天平13 | 「行基年譜」に大輪田船息の記載。行基による大輪田泊修築。 |
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812 | 弘仁3 | 大輪田泊修築。 |
914 | 延喜14 | 三善清行が提出した「意見封事十二箇条」において大輪田泊・魚住泊の修築を請う。 |
947 | 天暦元 | 造輪田泊使が定められる。 |
1173 | 承安3 | 平清盛が経ケ島を築き、大輪田泊に宋船を入港させて貿易を行う。 |
1180 | 治承4 | 平清盛が福原遷都し、5ヶ月後に京へ遷都。 |
1192 | 建久3 | 鎌倉幕府が開かれる。 |
1196 | 建久7 | 東大寺の僧重源、大輪田泊、魚住泊などを修築。 |
1289 | 承応2 | 一遍上人が和田岬の観音堂で没する。 |
1308 | 延慶元 | 東大寺、伏見上皇より港の修築と東大寺修復のため兵庫津に関を設け関銭の徴収を許可される。 |
1333 | 元弘3 | 隠岐島を脱出した後醍醐天皇が福厳寺に滞在中、楠木正成が迎えに来ていた時に、鎌倉幕府が滅びたという知らせが届く。(「太平記」より) |
1336 | 建武3 | 楠木正成が湊川の戦いで敗れる。 |
1338 | 暦応元 | 興福寺、兵庫南関の関料徴収を幕府より認められる。(南関の成立) |
1401 | 応永8 | 兵庫津が日明貿易の拠点になる。足利義満が兵庫を訪問し高麗船を見学する。 |
1445 | 文安2 | 『兵庫北関入舩納帳』の記録が現存。 |
1467 | 応仁元 | 応仁の乱で兵庫津が焼かれる。 |
1573 | 天正元 | 室町幕府滅亡。 |
1578 | 天正6 | 摂津の守護荒木村重が織田信長に背く。 信長勢が花隈城を包囲し兵庫津も攻撃。 |
1580 | 天正8 | 花隈城落城。 |
1581 | 天正9 | 池田恒興、花隈城を破却して兵庫城を築く。 池田恒興・輝政父子による兵庫津の支配。 都賀之堤などが築かれ城下町の整備がすすむ。 |
1603 | 慶長8 | 江戸幕府が開かれる。 |
1607 | 慶長12 | 朝鮮通信使兵庫津に寄港。(来日12回のうち11回兵庫に寄港) |
1617 | 元和3 | 戸田氏鉄が尼崎に入封。兵庫津も尼崎藩領とされる。 尼崎城築城。 |
1686 | 貞亨3 | 尼崎藩が兵庫に兵庫奉行を置く。 |
1692 | 元禄5 | 水戸光圀が楠木正成碑を湊川に建立する。 |
1696 | 元禄9 | 『摂州八部郡福原庄兵庫津絵図』が作成される。 |
1769 | 明和6 | 兵庫津、明和の上知令により幕府領に編入される。(明和の上知) 陣屋の一部に兵庫勤番所が置かれる。 この頃、近世兵庫津の人口増加しだす。 |
1785 | 天明5 | 工楽松右衛門が松右衛門帆を発明する。 |
1796 | 寛政8 | 『摂津名所図会』刊行される。 |
1824 | 文政7 | 高田屋嘉兵衛が西出鎮守稲荷神社に海上安全を祈願して灯籠を奉納する。 |
1858 | 安政5 | 幕府、日米修好通商条約を締結。兵庫の開港が決定する。 |
1862 | 文久2 | 『兵庫津之図』作成される。 |
1864 | 元治元 | 和田岬砲台が完成。勝海舟が神戸海軍操練所を開設(翌年閉鎖)。 |
1867 | 慶応3 | 大政奉還・王政復古。 |
1868 | 慶応4 | 兵庫(神戸)開港。 神戸三宮神社前で備前藩兵が外国人を負傷させる。(神戸事件) 兵庫城跡に兵庫県庁が置かれるが4ヶ月で移転。 初代知事に伊藤博文が任命される。 |
1874 | 明治7 | 兵庫新川運河の工事開始。大阪一神戸間に鉄道開業。 |
1876 | 明治9 | 兵庫新川運河、神田兵右衛門の尽力により完成。 |
1887 | 明治20 | 官営兵庫造船所が川崎造船所に払い下げられる。 |
1891 | 明治24 | 能福寺、地元の豪商たちの寄進により大仏を建立する。 |
1899 | 明治32 | 運河の開削を引く継いだ八尾善四郎、 幾多の困難を乗り越えて兵庫運河(本線)を完成。 |
1901 | 明治34 | 湊川付け替えが完成する。1905明治38神戸三菱造船所が開業する。 旧湊川跡に新開地が誕生する。 |