はじまりの地、兵庫津

兵庫津は、8世紀の初め頃に大輪田泊と呼ばれ、近畿から中国・九州へ向かう航路の船泊りとして築かれました。摂播五泊と呼ばれるローカルポートの一つでした。804 年には、第4回遣唐使として最澄、空海が船出していきました。平安時代の終わりごろには、平清盛が日宋貿易に大輪田泊を利用し、大きな港に大修築し、重要な国際貿易港になります。日本最初の人工島と言われる経ヶ島も港の防波堤の役割でこのころ造られています。鎌倉時代以降になると兵庫津と呼ばれるようになり、室町時代には、勘合貿易の国際港として栄えます。江戸時代には、北海道、東北の日本海沿岸と近畿を結ぶ北前船の発着港として大きくまちは発展し、人口も5,6 千人ほどから江戸中期には2 万人を超えるほどになります。明治になると、兵庫県の最初の県庁が兵庫城跡に置かれ、初代県知事に伊藤博文が就任し、国際貿易港として大きく発展していきます。兵庫津は、どの時代においてもわが国最大、最先端の港まちとして輝かしい活動を展開してきました。